校舎改修とこれから In the future

改修が始まるまで

旧藤倉小学校校舎は、廃校になった後も、都内の児童劇団の練習場として使用されるなどの活用がされてきました。しかし、建物に関する基本的な維持管理は行われてなかったために、2015年頃には、外壁や基礎の劣化が深刻な状態になっていました。使い続けるには耐震補強も必要でした。東京にはほとんど無くなってしまった木造校舎。なんとかして再生したいと、かつてボランティアとして藤倉地区の村おこし事業に協力していた人など、藤倉地区にご縁があった人々が集まり、改修計画がスタートしたのは、2015年のことです。

大きな事業になることが予想されたので、有志の人々でNPO法人さとやま学校・東京を設立し、改修に取り組むことになりました。改修計画は、地元の藤倉自治会と相談しながら何案もつくられ、実現への模索を続けていきました。同時に、伝統的生活文化を継承し、環境共生型の生活技術体系を現代に生かしていこうというN P Oのビジョンや「泊まれる学び舎」としての再整備計画などが作られていきました。

実際に改修計画が現実化したのは農林水産省農山漁村振興交付金(農泊推進)の交付が決まった2019年でした。

改修工事スタート

限られた予算の中で適切な品質を確保するために、全体の改修計画は大きく建築本体工事と内外装工事の2つに分けました。前者はプロによる設計・施工。後者はボランティアの方々による自力施工です。

建築本体工事の設計主旨は、長年の使用に伴い老朽化が著しかった増改築部を減築し、新築当時の状態に戻すこと。宿泊施設の条件を満たすための水回り等の設備機器の更新すること。および最新の耐震基準に沿った耐震補強を行うというものでした。国の登録有形文化財への登録要件を満たす設計も意識しました。

建築本体工事は、2020年の秋スタートし、2021年の3月まで行われました。耐震補強を含む構造体(基礎部、木軸部)及び水回り等設備類の改修設計及び工事管理は、文化財建造物の保存再生の専門家でもある建築家の酒井哲氏に、また施工は地元の吉澤工務店さんに尽力頂きました。

本体工事が終わりかけた2020年の暮れ頃から、内外装工事(屋根・外壁・建具の塗装、内壁の漆喰塗、家具製作、ウッドデッキ等)がスタートしました。こちらは、NPO理事で建築家の安田治文の設計・施工監理の下で、多くのボランティアの方々に手弁当でご協力いただきながら進めていきました。

内外装工事のデザイン主旨は、同NPOの活動理念である「檜原村・藤倉地区の里山文化の継承と発展」に沿って、旧藤倉小学校の廃校当時の雰囲気を遺すこと。さらに、宿泊施設としての新機能を「接ぎ木」することです。

例えば、インテリア改修に必要とされた材料には、旧校舎の減築時に発生した廃材(新築当時に地域住民から寄進された木材)を積極的に再生・活用しました。丁重に解体、保管された柱や梁の中には良質な栗材等も含まれ、新築当時の墨出しやホゾ穴といった手の痕跡も多く遺されています。これら当時の小学校新築のために寄進された材料や労務等の「痕跡」をできる限り遺しつつ家具・デッキ等を新設することで、地域住民への最大限の敬意を表すると共に、現代のニーズにも対応するデザインを目指しました。

持ち出さず、持ち込まず

さらに、「持ち出さず、持ち込まず」をモットーに、敷地内から廃棄物をできるだけ排出することなく、同時に外部からの新たな材料搬入も最小化することにより、施工過程での環境負荷の低減を図りました。内外装工事の工期は約2年間かかり、参加頂いたボランティアの方の人数は延べ800人にのぼっています。

「解体新築した方が安いよ」とは、工事の前に多くの人々から投げかけられた言葉でした。しかし、経済原理を優先することによって、ちょっと手をかければまだまだ使える貴重な資材も、それらに刻まれてきた歴史も文化もあっという間にゴミとなって失われ、地域は都市的で画一的なものに入れ替わって行きます。NPOが目指したのは、地域の歴史、文化、自然資源の価値を最大限に引き出すようなリノベーションです。同時に地域活性化をもたらす観光地として、地域固有の魅力を高めることも目的としました。

藤倉校舎の周辺には、江戸時代から続く古民家や自給自足で暮らしていた山村の風景が広がっています。藤倉校舎を拠点に、地域資源を現代に向けて再構築して行くようなエリアリノベーションの試みはこれからも続けられます。