古道ハイク
江戸時代から人々が往来していた古道を歩きます。
檜原村の魅力の一つは、歴史と身近にふれあえることかもしれません。ちょっと歩くと江戸の元号が刻まれた石塔や石仏と出会い、江戸時代を起源としたお祭りが今も盛んに行われています。藤倉地区は、電気や自動車道路の開通が遅かったこともあって、江戸由来の古道が、比較的最近まで生活道として使われていました。今回は、そんな古道を歩いてみました。
古道ハイクの参加者は12名。最初に、当日歩くコースを江戸末期の古地図で見ていただきました。檜原村北谷(北秋川沿い)から奥多摩方面へ抜ける古道は、江戸時代の地図にもくっきり書かれており、その頃から重要な道だったようです。
古道ハイクのスタート地点は、藤倉校舎。 歩き出すと、さっそく左手に春日神社があります。1560年創立ということでしたから、戦国時代のころから、この辺りには人々が少なからず住んでいたことがわかります。
北秋川沿いを上流方面に歩き、寒澤寺を通り過ぎると、落合と呼ばれる川が二股に分かれる場所に来ます。古道である「三十三曲がり」に入口はここ。山道に入って白岩集落を目指しました。標高差300mくらいあるジグザグ登り道で、今の感覚だと山登りですが、かつては物資の輸送(馬や牛や人力による)や子ども達の通学に使われた生活道です。
三十三曲がりは、1720年ごろに作られたの。その前は、この辺りは良い畑があってね。ただ、土砂崩れがあって、畑もダメになったし家も壊された。その後に作られたのが、三十三曲がり。なお、流された家の人は、その後国分寺の戸倉新田の開発で活躍したそうだよ。」とは、前日に地元の人から聞いた話。その話や、今も道沿いにある古民家は、江戸時代の組頭の家だったということなどを、参加者の皆さんに説明しながら歩きました。
かつて通学していた小学生は、25分くらいで登り切ったという三十三曲がりですが、私たちは80分ほどかけて、途中お茶をしたり、自然観察したり、炭焼小屋跡を見学したりしながら、ゆっくり登って行きました。 上の方へ行くにつれ、山と谷が連なるダイナミックな風景が遠方に広がっていて、思わず足が止まります。周辺では、地元の「紅葉の会」の皆さんが移植した紅葉の木々と、その作業跡があちこちに見られました。
お昼は、白岩集落の眺めの良い民家のお庭をお借りして、お弁当を食べました。住人の方(70代)からは、子どもの頃の通学の苦労話も聞けました。日が暮れてから三十三曲がりを歩くと落ち葉が鳴って後ろから誰かがついてくるようでとても怖かったとか、中学校はさらに遠く、毎日7キロくらいの道を往復していたとか。また近所で作業していた90代のおばあちゃんからは、「昔は、牛や馬が荷物を運んでいた道だったから、フンが落ちていて滑って嫌だったよ。」という話も。人や牛馬が頻繁に往来していた往時の古道の様子が目に浮かぶようでした。
白岩から出発地点の藤倉校舎までの戻りは、1970年代以降に作られたアスファルトの道を歩きました。 自動車道が整備されたことから、今では、白岩には舞茸工場(檜原キノコセンター)があり、住民も町へ通勤できるようになりました。参加者の多くが舞茸をお土産に買っていかれました。
長い下り坂でしたが、今回の全体進行を担当した地域おこし協力隊のSさんが考案したビンゴをやったり、自然観察したり、参加者同士でおしゃべりをしたりしながら、飽きずに出発地点に戻ることが出来ました。
初めて実施した古道ハイクでしたが、藤倉には歴史と繋がるさまざまなヒントが散りばめられているところだということがよくわかりました。地域の歴史を知ることによって、地域のかけがえのない個性が浮き彫りになり、地域をより魅力的に感じられるようになります。歩きながら、周辺の自然とふれあいながら、地域の歴史の謎を解き明かしていくよう古道ハイク、これからも企画していきます。
(スタッフ:川上)